JR篠栗線大分(だいぶ)駅の近くに、大分宮がある。平安時代に宇佐八幡宮が京都にも勧請されて、石清水八幡宮が建つと、八幡信仰は新しい勢いで、全国にひろまった。筑前の大宰府の官人も、この流行路線にのり、豊前と大宰府を結ぶ官道の中間地点の嘉穂郡に宇佐八幡の別宮をつくり、大分宮として八幡信仰を広めたらしい。 しかしこの官道はしだいにさびれてしまったので、唐船の着くにぎやかな博多の近くにうつして、八幡宮の興隆と貿易の利をねらって建てられたのが箱崎八幡宮である。箱崎八幡宮の氏子である私は、いつかこの大分宮を訪ねたいと思っていたが、79歳にしてやっと実現できた。八木山バイパスの高速道路が出来たので、我が家から車で、40分ぐらいでいけたが、はじめての道で、一度通過してしまい、ひきかえした。 かって栄えた炭鉱地帯はいま静かな住宅地帯となっていて、参道は石畳が敷かれ、拝殿は比較的あたらしく、こじんまりしている。近年再建されたのであろう。境内には馬の石像があり、応神天皇の産湯井戸があり、ここで生まれた伝説があるらしい。箱崎八幡宮は応神天皇のへその緒を埋めた伝説があり、前後関係はつながっている。しかし宇美神社の伝説と重なるのはどう考えたらよいのだろう。箱崎八幡宮社史には宇美神社と同じ時代に箱崎八幡宮が出来た説と、大分宮(穂波宮)から遷宮した説の両方が記載されており、後者のほうが真実性があると書いている。 歴史が古いだけに、境内の楠木は巨大なもので、天然記念物にしていされている。箱崎八幡宮の楠木も巨大であるが、幹に大きな空洞があり、私の母も子供のころ空洞のなかでかくれんぼをして遊んだとはなしていた。大分宮の空洞はきれいに塞がれていて、寿命を保つように処理されていた。
by gfujino1
| 2005-03-11 15:58
| 郷土史
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