立花山と舂米氏や最澄の歴史

上代の日本史に「舂米」の名前があり、歴史書にときどきあらわれる。

1)「初めて茨田の屯倉をたつ、因りて舂米部を定む」と日本書記の仁徳13年9月の項に出てくるのが最初であろう。古事記の仁徳紀にも、「秦人を役して茨田堤及び茨田屯倉をを作る」とでている。この記事からは、舂米連は秦氏の一族かと思われる。
しかし「舂米宿彌、石上同祖、神饒速日命之後也」と新撰姓氏録(817)にあり、「物部連麻呂は朝臣の姓を賜り石上朝臣と称す」と日本書記に書かれている。これからは舂米連は物部氏の一族でもあると思われる。両者は交流の深い関係であったようだ。

2)聖徳太子の娘に舂米女王の名前があり、山背王子と結婚して、10人の子をなしている。母は膳氏でありその名前に舂米と名づけられた理由が不明である。聖徳太子の異母兄弟に茨田王子の名前があり、太子一族と茨田屯倉とは深い関連があったので、そこにいた舂米連が王女の名代になったのであろう。590年頃上宮王家とゆかりのあったことは確かである。

3)舂米寺は摂津の国下嶋の郡にあると日本霊異紀に書かれている。現在の大阪府三島郡で、茨木市や高槻市の近郊である。この地区には継体天皇陵や藤原鎌足の阿武山古墳などがある。継体天皇は磐井の乱(527)の頃であり、藤原鎌足は大化の改新(645)の時代である。この頃まで、舂米連は三島郡あたりにいたと思われる。

4)糟屋評造舂米連広国が鋳造した釣鐘(国宝)が妙心寺にある。舂米連が糟屋に移ったのはいつか分からないが、おそらく大化改新のあと、650年頃藤原一族が茨木のあたりを領有して、舂米連は糟屋に移されたのであろう。
(今まで長崎説では磐井の乱の直後とされていたが、いささか唐突な考えである。)

5)この鐘は当初秦河勝が建立した広隆寺に、698年に寄進されたことからも、舂米連と秦氏の深い関係が続いていたことがわかる。665年頃白村江の戦のあと九州では、水城をつくり、大野城などをきずき、防人を配置するなどの軍事景気がつづき、大和では壬申の乱などがおきたので、新羅からの使者も九州に留まる状態であった。
糟屋評(郡)の首長も実質的には太宰師以上うの活躍をしていた時代である。
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                             妙心寺の鐘(国宝)

6)舂米連は香椎宮の周辺に舂米の祖として二神大明神をまつったと香椎編年記にでている。
香椎台5丁目の大槙の木の場所には、もう鳥居も拝殿ものこっていないが、古賀の小山田斎宮には二丈神宮の鳥居が残っているし、近くに香椎宮跡も存在する。

7)糟屋の二神山(立花山)と山容の似た大和の二上山の麓には、聖徳太子の弟の当摩王子一族の当摩神社がある。こらからも糟屋と大和が着米連を介して上宮王家と深い縁があったと思われる。
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                             立花山(二神山)
8)その後平安時代に遣唐使の船で唐に渡った最澄が、1年後に帰国し、古賀の花鶴海岸に上陸し、さらに立花山の麓に独鈷寺を開いた。その後比叡山にもどり天台宗の開祖となったことは有名である。
筑前国時代の名所絵図にもその独鈷寺が描かれている。
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戦国時代に豊後の大友氏が立花山まで進出して居城をつくる。大友氏は豊後を中心に、豊前、筑前、筑後をおさめ、一時期は肥前、肥後にまで勢力をのばしていた九州の大勢力で、南部の島津とならぶ名門の守護代である。
有名な大友宗麟は長男でありながら分家させられていた。その大きな理由は母が大内氏の出であり、その後大内と大友が不仲になっていたためであった。その父が家臣の謀反により殺され、この不慮の死で、宗麟は大友の総領によびもどされた。これには家老の立花道雪の意向が大きく貢献していた。 道雪はのち立花城の城主となる。
宗麟の時代となると、道雪などの活躍で一時は北部九州を勢力下に治めて、大いに繁栄したが、宗麟自身が好色漢ぶりを発揮し、一族内部の対立がおこる。
また北からは大内のあとの毛利勢が攻撃し、南からは島津勢が北上して、次第に弱体化していく。道雪の死後、宗麟はキリスト教に陶酔して洗礼をうけて、闘争心を失っていく。
最後は秀吉の援護を受けてようやく豊後の領地を安堵されて一生を終える。
宗麟のドラマがNHKで放送されたが、これは大分県の元県知事の平松さんが、地域起しのために、宗麟を大河ドラマに仕立てようようと企画し、遠藤周作さんにシナリオを依頼した。しかし、あまりにもキリスト教色がつよいシナリオであったため、大河ドラマとしては没になったもので、正月ドラマに格下げされたものでした。
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by gfujino1 | 2005-05-30 10:01 | 郷土史
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