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名島城天守閣跡

秀吉の時代に、嶋津軍が北上し、大分の大友宗麟を攻撃したので、宗麟は秀吉に助けを求めた。秀吉軍の出動に驚き、嶋津軍は撤退し、秀吉は九州平定とともに、筑前の領主に小早川隆景を任命した。九州の守りと毛利の勢力分散をねらう一石二鳥の人事である。
小早川は、今までの大友方の立花城を使用せずに、博多湾に面した名島に城を築いた。水軍を得意とする小早川勢の発想である。
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その名島城は、関が原の戦のあと徳川の天下となり、筑前の領主となった黒田長政により取り壊されてしまった。しかも長政はこの名島の土地を博多商人に売却して、福岡城建設費にあてたため、最近まで私有地になっていた。風光明媚の高台で、富豪の別荘地であったようだ。
ようやく福岡市が買い戻して、現在天守閣跡地の発掘調査を行っている。
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天守閣や周辺の石垣はほとんど福岡城に移されたため、一部の石垣しかのこっていない。
高台からは、はるか北東に立花山が望まれる。現在は千早地区の開発でマンションが手前に沢山たっているが、かって小早川隆景もこの風景をながめたであろう。2年後には展望公園として一般市民に開放されるそうである。
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筑前名所絵図にも名島古城の風景は選ばれていた。
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by gfujino1 | 2005-06-04 21:40 | 郷土史
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