安川電機の歴史と本社建物の変遷

私が入社した昭和23年当時JR黒崎駅前の本社建物は、まだ木造2階建で、大正4年創業時に造られたままであった。その後昭和27年まで使用され、38年間の寿命であった。
昭和28年にアメリカのレイモンド設計による鉄筋3階建のビルが出来て、当時はちょっと話題になったが、その後の高度成長で周辺に立派な建築物ができて、最近ではみすぼらしく見えるくらいになっていた。
平成17年にJR線路側に高速道路が出来るため、本社ビルの半分以上が取り壊された。今日ひさしぶりに出かけてみたが、一部改造された形は、何か痛ましい気がした。
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実質的な創業者安川第五郎の胸像が、中庭の芝生からその姿を眺めていた。
(社長、会長のほか、日本原子力委員会や東京オリンピック委員会などのリーダーとして活躍)
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玄関側には、左から安川敬一郎、安川清三郎、安川寛の胸像が並び、歴史を感じさせる。
(敬一郎は明治鉱業の創業者で、第五郎の父、明治工業専門学校の創設者でもある。清三郎は敬一郎の弟で、明治鉱業、明治紡績や安川電機の経営者として貢献した。寛は清三郎の子で、戦後安川電機の社長、会長、名誉会長をつとめ、北九州商工会の会長や門司ゴルフ場の理事長も永年つとめた。)
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by gfujino1 | 2005-06-07 17:22 | 郷土史
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