近代俳人「吉岡禅寺洞」

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福岡市生まれの俳人「吉岡禅寺洞」の句碑が私の菩提寺の境内にある。今まで詳しいことを知らずにいたが、一光寺のある海門戸でうまれた俳人だそうだ。本名は善次郎で、俳号を禅寺洞とした。私が北九州で知っていた横山白虹先生らをそだてた現代俳句の先覚者である。、大正初期に頭角をあらわし、天神で「天の川」の俳句誌出版社をつくり、九州の俳句界のリーダーとなった。九大俳句会を結成して指導してきた。
由来をしると、その俳句まで輝いているように思えるから不思議である。俳句はほんの少しかじった程度であるが、先駆者と将来同じ墓地に眠るかと思えば、今からも少し精進してみたいとも思う。
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句集では、「冬木の 木ずれの音 誰もきいてくれない」であるが、碑文では、「誰れもきていない」とよめる。またの機会に確認しよう。
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「母を葬る」の句は寺の境内にふさわしく、誰でも共感を覚える句である。
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「まっしろき 蝶 ひとついて 「時」をはむ」の句は哲学的であるが、時の記念日の句。
「土古く渡来の鶴を歩かしむ」の句は出水市荒崎(阿久根)鶴の展望所でよんだ句である。
「ここにきて彼岸の入日額にうける」の句は天草郡栖本町湯船原の円性寺に句碑がある。
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by gfujino1 | 2005-06-26 11:13 | 郷土史
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