名島城と妙見島

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博多湾名島はかって小早川隆景が築いた名島城があった。その沖合いに妙見島という小島があり、名島から小船で簡単に渡れる観光場所であった。隆景が普請の陣頭指揮をしている所へ、神屋宗湛や嶋井宗室らが普請お見舞いに酒や肴を進上し、妙見島の海岸で酒盛りを開いたという。
また秀吉も島津征伐や朝鮮出兵などで九州入を何度もしているが、名島城にきた時は、この島で茶游会を開き、その時使用した井戸の跡が今も存在する。
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戦後この浅瀬は埋め立てられて、名島と地続きになってしまった。名島の帆柱石の方から見ると、マンションの影に隠れて島の形は殆ど見えない。
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沖合いに出来たみなと100年記念公園の方から見ると、島の形がのこっており、島の松などもこんもりと繁っている。この山腹にある建物は民間会社のもので立ち入れないが、このあたりに古井戸があるらしい。
黒田長政が名島城を取り壊したとき、天守閣のあった山頂を博多商人に払い下げたというから、妙見島も当時から民有の島になっていたのかもしれない。
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多々良川の河口には新しい香椎かもめ大橋がかかって、人工島や海の中道との往来の車がひっきりなしに走っている。
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昔の面影は江戸時代の筑前名所絵図で味わうことができるだけである。
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名島城の存在したころの城下町の地図ものこされている。
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現在城跡の発掘調査が行われており、ちかく記念公園としてオープンされる予定である。
この山頂からは立花山が真向かいに展望できる。
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人口砂の海岸の石垣には昔の景色の写真がとりつけられている。
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埋め立て地の一部は記念公園になっている。
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帆柱石の手前には松の木がかろうじて1本だけ残っている。
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by gfujino1 | 2005-08-09 18:26 | 郷土史
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