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和白村の歴史

和白病院に入院して、周辺の風景をしっかり眺めたので、自宅に帰ってから和白の郷土史を読み直してみた。
和白村は、上和白と下和白の二つの村に分かれていた。その境界線あたりに和白病院がある。地図をクリックすれば、拡大される。(赤印が和白病院の場所)
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大神神社が両方にあり、上和白の方は高美台団地のなか、下和白の方はJR福工大駅の近くにある。
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神功皇后の船つなぎ松の石碑が西鉄電車路線の近くにあり、昔はこのあたりまで、入り江だったようだ。
江戸時代の郡奉行蒲池重広は有能な開拓者だったらしく、大蔵池の構築や和白海岸の入り江干拓(水田2町4反)などを発案し、地元の庄屋安河内九郎左衛門らに実行させたようだ。
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今の西鉄和白駅も、最初は駅がなかったので、庄屋の安河内氏の私有地を提供して駅の新設をして貰ったという。
今の和白病院の医療法人「池友会」会長の蒲池真澄氏は、郡奉行の子孫かどうか知らないが、この地を先端医療地に発展させた功績は大きい。
PET検査やドクターへりをいちはやく実現させた。(九州大学ではやっとH.20.7.15よりヘリをはじめるそうだ。)
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その子息の一人が、もと民主党の永田議員で、今は病院の管理事務者ということだ。
by gfujino1 | 2008-07-11 14:00 | 郷土史
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