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昔の香椎


JR香椎駅商店街のPR館で昔の香椎の写真や古地図の展示会があった。
昔といっても戦前であれば、ある程度知っているつもりだったが、さらに大昔(200年前)
の風景画などがならんでいた。


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上の写真は香椎宮周辺の俯瞰図で江戸時代のスケッチ図を復元したものです。
日本書記(巻八)によると、九年の春二月に52歳の仲哀天皇が橿日宮(香椎宮)で
崩御された。これは三韓を征伐せよという神の教えに従わずにいたためと思われた
神功皇后は、小山田邑に斎宮を造り、出兵を決心されたという。わが古賀市の
小山田斎宮はこの時建立されたものらしい。郷土史にはあまりくわしく記載されて
いない新発見である。また皇石神社にも神功皇后ゆかりの大石がある。
この年には天皇を葬りまつることを得ずとあり、香椎廟ができたのは少しあとになる。


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この写真は戦国時代の立花城古図として有名で、周辺の里山や街道をしるした地図。
立花山は、仲哀天皇が三韓征伐の神の教えが下ったとき、「高き岳にのぼりて遥かに
海原を望むるに、ひろくして国も見えず」といわれた時の高き岳であった。二神山とも
いわれ、九州物部氏の信仰した山でもある。三韓とは馬韓、弁韓、辰韓で朝鮮半島の
南部である。百済、新羅、高句麗と間違えている本が結構ある。
戦国時代には、大友氏と大内氏が制覇をあらそった山城で有名だ。


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この写真は香椎潟(香椎~名島間)の明治時代の図で鉄道は海の中の鉄橋を走っている。
戦後の発展で失われた自然の風景をいろいろ思いだして懐かしい記憶が甦えった。
中学時代に箱崎から西戸崎までの往復10里行軍で歩いた唐津街道、香椎潟で
葦の葉を切り出した夏の作業、戦後出来た米軍キャンプでのアルバイト作業などなど。
松本清張の点と線で舞台となった御島岬もいまは陸地のなかになっている。
日本書記に出てくる香椎潟は、神功皇后が橿日浦(香椎浦)で「髪を海に入れて洗うとき、
髪が流れで二つにわかれたら三韓を征伐しよう」といわれ、占いの通りになったので出兵さ
れたという伝説の場所でもある。


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by gfujino1 | 2005-02-28 16:37 | 郷土史

軍艦「出雲」

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軍艦「出雲」物語

先週の西日本新聞に芥川賞作家林京子さんのエッセイが掲載された。
太平洋戦争開戦当時、上海で女学校に通っていた京子さんが、英会話で
人気のあった英国人の先生とこの日を限りに別れた記憶の話である。

昭和16年12月8日上海の守備についていた軍艦「出雲」を旗艦とする日本海軍は、
降伏勧告をうけいれなかった英艦ペテレルを撃沈し、敵対国になったためである。

私は「出雲」ときいて、昨年の国文祭のとき古賀市「漂着ものがたり」会場を思い出した。
1973年に海の中道の海岸に漂着していた軍艦「出雲」の杯を、古賀市歴史資料館の
石井館長が発見されて、展示されていたからである。

出雲は1898年に英国(アームストロング社)で建造された9970トンの装甲巡洋艦で、
日本海海戦でも活躍し、第1次大戦では地中海マルタ基地で旗艦となっている。
その後は若い幹部候補生をのせて世界周航をする練習艦船としてはたらいた。

漂着した杯には、大正10、11年世界周航記念、軍艦出雲と書かれていた。この
周航に乗り組み員として参加されたかたが、古賀市にもおられた。
杯のなかに世界地図が画かれおり、太平洋、アメリカ、パナマ、大西洋、イギリス、
地中海、スエズ、インド洋、東南アジア経由の周航記念で、隊員に配布された杯
であった。海に関係する遺品として遺族が玄海灘に投入されたのかも知れない。

第2次大戦では、京子さんのエッセイのように、中国長江に砲艦として常駐して、
1942年日本にもどり、江田島の海軍兵学校生の練習艦となったが、1945年
7月28日の米軍攻撃で江田島沖に沈没し、戦後引き上げられ解体された。

エッセイでは上海で英艦を砲撃したのは「出雲」と思っていたが、最近の調査で
国産の駆逐艦「蓮」ということがわかったと林さんは書いている。
英国製の「出雲」が英艦を撃沈したのでなかったのはせめてものすくいであると、
林さんにお知らせしたい。
林さんは上海から郷里長崎に帰国され原爆に被災されたことを知り、60年前の
同じ戦争体験世代のものとして、「出雲」の運命に哀愁を感じる。


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by gfujino1 | 2005-02-10 17:28 | 郷土史