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小山田斎宮

古賀市の小山田にある小山田斎宮は、日本書記の神功皇后の項に記載されている。仲哀天皇が亡くなられたときは、三韓への出兵準備中であったため、すぐには御陵や廟をつくらずに、小山田邑に斎宮をつくることにされた。香椎宮に駐屯されていた頃であるから、少し奥深い小山田邑がえらばれたのであろう。
現在の小山田斎宮の案内板には、巨木の説明板だけが書かれていて、神功皇后に関することにはふれていない。日韓関係に配慮してのことであろう。いまや神功皇后伝説はタブーのようであるが、歴史的に古くいわれのある場所であることにはちがいない。
石の鳥居が二つあり、道路側の大正時代の新しい鳥居には斎宮と書かれているが、奥の古い鳥居のほうには「天神宮」とかいてあると、古賀町誌には記載されているが、どうもおかしい。
私には「天」でなく、一安?二女?に見える。よくよく見ると「二丈神宮」である。二丈は二上になり、二神に通じる。糸島の二丈町も二丈岳にちなむ名前で、もとは二上岳であったという。
もしそうならば、糟屋屯倉の舂米連の先祖がまつられた二神明神に通じるかもしれない。仲哀天皇の軍隊にいた五大臣の一人物部膽昨連を祭ったのがはじまりで、物部系の舂米連が斎宮に合祀したのであろう。
いまは神主もいない無人の社で、くわしい歴史は永遠に闇の中である。古賀郷土史研究会のメンバーに呼びかけて、さらに調査をすすめることにしよう。
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by gfujino1 | 2005-04-29 17:57 | 郷土史

二神神社跡の大槙

香椎宮の末社のひとつに二神神社(跡)がある。その場所には樹齢四千年の大木となった槙の木があるというので出かけた。香椎台5丁目の新しい団地の公園の中というので、その周辺で高い木を探したがみつからない。車道からみると谷間になっているので、低い木に見えてしまったからだ。一番大きな幹は折れたらしく、切断されている。断面を年輪年代法であいらべれば、正確な時代測定がわかるはずである。
背後の立花山の古い名前は二神山で、奈良の二上山と同じ呼び名である。山をご神体として崇めたのが物部系の舂米連である。糟屋評造であり、山をご先祖の地として祀っていた拝殿がここにあったらしい。
舂米の名前が聖徳太子の王女につけられたので、この糟屋の地が聖徳太子のゆかりの地であることがわる。王女の養育費を負担する名代を舂米連がつとめたからである。
聖徳太子の血縁は蘇我系ではあるが、物部宗家滅亡後も物部系との縁がかなり深くなっていったようだ。法隆寺をたてた斑鳩の地の坂戸氏も物部系という。
そのため蘇我馬子と溝ができて、晩年は政治の表から身を引いたのかもしれない。そんな思いを感じさせる場所である。
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by gfujino1 | 2005-04-15 17:08 | 郷土史