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芭蕉塚・諏訪神社など

福間小学校の周辺には、福間の歴史をしめす遺蹟が多い。
西鉄線路に近い場所に宗像宮がある。いまは小さな祠があるだけだが、宗像神社の遥拝所であり、また神輿宮神幸の折の雨天休憩所であった。大正年間までは、雨乞の神事でここまで御神輿が下っていたという。この敷地の一隅に芭蕉塚がある。
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芭蕉塚の名前から芭蕉が福間に来たのか?と思う人がいるが、そうではない。彼は大阪から長崎に行く予定であったが、食中毒で大阪で亡くなった。その後この石碑は1843年に福間の俳句同好会である蓑生連が、芭蕉の威徳を偲んで建てたものである。裏面には「奥の細道」の越後路の中にある句「芙美月や六日も常の夜にも似す」が刻まれている。明晩が七夕だと思うと今夜はいつもの夜と違った趣だ、という句である。この時代の俳句同行会は博多や今宿などにもあったが、東側では福間が進んでいたようだ。
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福間小学校のすぐ東に諏訪神社がある。御鎮座の来歴は千年以上前からといわれ、本町、南町、緑町、大和町の氏神である。有名なのは県指定の文化財である「鰯網大漁絵馬」である。
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すこしピンボケであるが陸上と海上に400人の漁師の働く姿が描かれていて、漁労民俗絵馬の傑作とされている。一部の拡大図をつぎにしめす。
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神社の裏手に又ぜーの墓がある。江戸時代はじめに下西郷村に又左衛門という馬方がいた。民話では諧謔、奇行、機知、ほら吹きなど抱腹絶倒する話が17ある。墓は大善寺の管理地内の草むらのなかにひっそりとおさまっている。
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by gfujino1 | 2005-07-16 21:54 | 郷土史

蓑生浦

福間町と津屋崎町が合併して福津市になった。二つの町の境界になっていたのが手光今川という小さな川である。その河口の両側に広がる砂浜を蓑生浦(みのうがうら)という。
平安時代からの古い呼び名で、菅原道真が大宰府に流されたとき、この沖合いで嵐にあい、あわてて津屋崎港に引き返して一夜を過ごしたのは有名な話である。
平安中期の女流歌人馬内待(うまのないし)が詠んだ「うかりける 蓑生の浦のうつせ貝 空しき名のみ 立つは聞ききや」の歌碑が海岸道路沿いにある。(厚生年金スポーツセンター前)
蓑生浜には、うつせ貝にまつわるフミという名の娘の悲しい物語があり、これを詠んだ和歌で、「後拾遺和歌集」に収められている。
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今川を渡る橋の横には「南無阿弥陀仏」と刻まれた大きな今川石碑がある。元寇の役での死者を葬ったのと、この地に出る妖怪「今川の土坊主」の霊を治めるための石碑という。この川の少し上流には今川遺蹟が発見されており、環濠集落の住居は朝鮮式で、中国北部の遼寧式銅剣を加工して作られた鏃や銅鑿が出土したそうである。
この海岸道路を通って津屋崎や恋の浦にはよくでかけるが、二つの石碑を詳しく眺めたのは初めてであった。
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by gfujino1 | 2005-07-16 21:09 | 郷土史