<   2007年 01月 ( 4 )   > この月の画像一覧

三代の太閤水(飯銅水)

唐津街道にはいくつも太閤水と呼ばれる井戸があります。
秀吉が朝鮮出兵を計画したとき、唐津街道が整備され、街道沿いに井戸が多く掘られたから、太閤水と呼ばれるようになりました。
新宮町の三代にある太閤水は、江戸時代の筑前名所絵図にも描かれたくらい有名でした。この絵には、井戸の前にたたずむ僧侶の姿が描かれています。その由来が古文書に書かれていること最近しりました。
堺の豪商で茶人としても有名な津田宗久が、秀吉に従軍して糟屋にきたとき、三代の里人に水源をたずねたところ、飯銅の水(炊事用の水)を教えられたので試しに飲んでみたが、良い水ではなかったので、少し離れた崖の下を掘って水を汲むと、茶に適した水がでてきました。
秀吉が名護屋からに帰路に馬を休めて水を飲ませ、この新しい井戸を宗久が彫ったことを知り、「宗久水」と名付けました。
その後宗久の子の江月宗玩はす出家して、その師春屋宗園とともに黒田如水や長政と親交があり、大宰府にあった崇福寺再興のために何度も三代経由で福岡に来ますが、この宗久水に気付かずにいました。
寛永5年に千代町に再興された崇福寺に下向して京都に帰る途中で、40年前に父がこの井戸を掘り、宗久水となずけられたことを初めて知り、感激して「飯銅水記」をかき、その最後に漢詩を残しています。
「三代村辺一日情 里人留我夕暉傾 先來再拝嬰児泣 野水空存亡父名」
宗玩は飯銅水記の文書で、井戸の名前を昔の飯銅水にもどしたようで、貝原益見の「筑前国続風土記」には「飯銅水(はんどうみず)」となっています。
その筑前国名所絵図の墨絵に、私がCGで色付けをしてみました。
b0017474_1811467.jpg
現在でも、この井戸は現在でも、名水として付近の人々に利用されています。
b0017474_1816541.jpg

[PR]
by gfujino1 | 2007-01-31 18:13 | 郷土史

久山町の古墳調査

福岡歴史彩発見行事で、久山町の展示場を見学にでかけた。
こじんまりした展示場であったが、一応古墳の場所の地図と出土品が展示ケースの中に、整然とならべられていた。
昨年より少し出土品がふえているようだ。
この程度なら、古賀市も展示可能であるが、今年はこの行事に参加していないのが、残念である。
b0017474_2119837.jpg

b0017474_21201821.jpg
b0017474_21204458.jpg

[PR]
by gfujino1 | 2007-01-15 21:29 | 郷土史

香椎の兜塚

JR香椎駅の北側800mの場所に、神功皇后の兜塚がある。
今日はじめて現地にいってみた。
香椎宮の飛び地になっていて、300坪位の小さな公園のなかに、大きな石がある。三韓征伐の頃の神功皇后伝説の一つで、この地に兜を埋められたものが、石になったという。旧唐津街道沿いにあり、他に猿田彦や三穀物などの石碑もある。
ただ後日談があり、江戸時代にこの兜形の石を庭石にした玄庵とかいう医師が、その後家族に不幸が続き、子供の玄伯が、あわててもとの場所にもどしたとか。
周辺はもうマンションが建ち並び、アンバランスな存在になっていた。
行楽日和で、唐津街道には立花山登山のリュック姿が沢山みられた。
b0017474_21265149.jpg

b0017474_21281558.jpg

b0017474_21284169.jpg

[PR]
by gfujino1 | 2007-01-15 21:28 | 郷土史

岡垣町の古墳

福岡県岡垣町の古墳群から発見された埋蔵物が、町の公民館で展示された。
土器、刀剣、鎧など5~6世紀のものが中心であったが、古墳の場所の地図
などの説明パネルがなく、さびしい展示であった。
b0017474_1794265.jpg
b0017474_17101740.jpg
b0017474_171114.jpg

[PR]
by gfujino1 | 2007-01-15 17:15 | 郷土史