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二見ヶ浦

三重県志摩半島の二見ヶ浦は全国的に有名であるが、福岡県志摩町の二見ヶ浦は、地元の人しか知らないであろう。
福岡市西区から志摩町にはいってすぐの海岸にあり、福岡黒田藩が信仰した桜井神社の鳥居が、最近つくられた。
これが出来てからはじめて出かけたが、鳥居という人工物が近すぎて、ちょっと景観がわるくなった印象をもった。
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海上には地震で有名になった玄界島がうっすらと眺められる。
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きれいな砂浜が続き、曇天ながら悠久の自然を感じさせる風景である。
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by gfujino1 | 2007-03-18 11:45 | 郷土史

伊都国の王墓

伊都国には、3つの王墓がある。平原王墓、三雲南小路王墓、井原鑓溝王墓である。
王墓とは、墓の埋葬品に鏡、剣、勾玉の3種類がそろっていることを条件としている。
伊都国の代表の平原王墓は平原遺跡公園にあり、昔は木棺が現地にあったが、今は円墳の土盛りがつくられ、その中身は伊都国歴史博物館のなかに常設展示されている。
古墳といわずに王墓というのは、墓の時代が弥生時代(3世紀なかば)だからである。
古墳とは古墳時代(4世紀以降)につくられた前方後円墳と定義されているからだそうだ。
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しかし原田大六さんはあえて平原王墓を弥生古墳と命名していたので、公園にはその名前の石碑が建っている。
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(これはファナックの稲葉清右衛門社長らが寄贈されたものだが、本人は字が下手なので、神田学長にお願いしたと話されていた。神田学長は化学が専門で、平原の大鏡の成分分析を依頼されたのが縁で、遺跡の歴史研究にはまりこんだそうだ。最初は鏡の破片などには触らせてもらえなかったが、写真撮影して破片の形を切り抜き、ジグソウパズル式に組み合わせに成功し、やっと考古学者の仲間に加えてもらったということだった。)

古墳時代は4世紀からと考えられていたのに、最近は箸墓古墳など3世紀なかばの説もおこり、弥生と古墳時代の区切りが混乱してきた。
また伊都国周辺でも、3世紀末あたりの前方後円墳が存在することが明らかになり、邪馬台国を古墳の国「大和」ととする説は、あまり迫力が無くなってきた。
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特に大きな鏡の出土は、古くから圧倒的に西日本に多く、それがしだいに東の大和の方に移動していったことは明らかで、鉄の道具や武器と同じ傾向を示しているいるから、古代の先進国は九州であったことは明白である。
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by gfujino1 | 2007-03-17 18:17 | 郷土史

元岡瓜尾貝塚

志摩町の元岡地区は今九州大学の新キャンパスの工事がすすみ、すでに工学部の移転が行われているところである。
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このあたりは志摩と前原の間の入り江があった場所で、縄文時代の貝塚や弥生時代後期の古墳が多く存在する。その一つは瓜尾貝塚であり、有名な大森海塚と同じように、貝殻が直接みられる珍しい存在である。
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すでにすぐ近くまで人家がせまっているので、保存がいつまで出来るか心配なくらいだ。
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by gfujino1 | 2007-03-17 17:04 | 郷土史

今津の元寇防塁

博多湾につくられた元寇防塁の遺跡は数箇所あるが、一番大規模に掘り起こされて整備されたのは、今津のものである。
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海岸沿いに1Kmちかく埋もれているものを、半分くらい堀起こして整備され、昔の姿を目の前にみることができる。
ここの築造担当国は日向と大隅で、花崗岩と玄武岩をつかい、繋ぎ目はジグザグになっている。
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まだ半分は埋もれたままで、頭の石だけが砂地に顔をだしている。
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河野静雲の「濤の音 太古の響 神の音」の句碑もあり、松林のなかに風流な雰囲気をつくりだしている。
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近くには元の兵士を祀る蒙古塚もあり、モンゴルの移動住宅(ゲル)の模型もおかれていた。
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by gfujino1 | 2007-03-17 17:00 | 郷土史

舞松原古墳

香椎宮の南の小山にある舞松原古墳は、以前から一度出かけたと思っていた。
周辺がすっかり住宅街になっているので、案内者がいないとわかりにくい場所である。
地図情報をしらべ、周辺を一周して、ようやく今日古墳の上まで登った。
けっこう急な登り坂で、若いころのようにすいすいと登れない。
息切れして小休止し、脚力の衰えを感じながらやっと登りついた。
4世紀末の古墳で、帆立貝の形をした長さ37.4m、高さ4.5mで、円の径は29mである。
ただし小山の頂上にあるので、眼下に周辺の住宅街が見渡せる。
墓は竪穴に木棺直葬、鉄斧、鎌、鋤、縁壷などが出土し、八稜鏡、青磁碗、皿など平安時代のものも発見されている。
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むかしは禿山とよばれていたらしいが、今は大きな樹木に覆われている。香椎ヶ丘緑地の一つになっていて、いろんな植物や小鳥の生息の場所になっている。
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このあたりの古図によれば、もっと海岸線(香椎潟)に近い場所で、博多湾も展望できたであろうが、今は埋め立てがすすんで、海面は見えない。
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by gfujino1 | 2007-03-01 18:13 | 郷土史