「ほっ」と。キャンペーン

<   2008年 05月 ( 2 )   > この月の画像一覧

宮崎の鵜戸神社


宮崎の日南海岸では一番有名な観光地が鵜戸神宮である。
家族旅行、会社の慰安旅行、学生との研修旅行などで数回おとずれている。ただ大形バスの駐車場から神社までの上り下りは、老人になった今ではかなり難儀であったた。
戦後間もない頃はまだ古くて荒れ果てた社だったような記憶があるが、近年は朱ぬりの立派な社に改築されていて、道路や階段も手すり付きの安全な構造になっている。
b0017474_14404547.jpg

洞窟内から外の空を見上げる
b0017474_1441311.jpg

洞窟前の階段にて
b0017474_14421888.jpg

洞窟前の海岸の岩
b0017474_14425295.jpg

洞窟内の本殿
b0017474_14433862.jpg

洞窟内の分殿
b0017474_1444912.jpg

出口の社
[PR]
by gfujino1 | 2008-05-22 17:21 | 郷土史

日向の飫肥城

九州の小京都とよばれる飫肥城の樹下町にはじめてでかけた。
歴史的には伊東家と島図家の争いの地であり、建築学的には江戸時代の藩主の御殿(屋敷)が現存する希少価値のある場所である。おの御殿は豫章館という武家屋敷として公開されている。動画はこの御殿の縁側から広い庭園と借景をながめた風景である。

中世から伊東家と島津家の覇権争いが繰りかえされたが、秀吉の九州統一以後は伊東家の居城として明治初期まで280年あまり続き、14代にわたり伊東家は五万石の飫肥藩を治めた。 天守閣は残っていないが、藩主の屋敷が残っているのは全国でも希少である。
飫肥杉で有名なところで、屋敷の柱はすべて無節のみごとな杉である。
b0017474_12224539.jpg

屋敷の玄関
b0017474_1224251.jpg

屋敷の床の間
b0017474_12254677.jpg

屋敷の庭側の縁
b0017474_1227369.jpg

庭の風景
本来は城内の天守閣跡のちかくに松尾の丸という御殿があり、藩主はこちらに住んでいたが、
地震などの災害で住めなくなり、大手門の外にあった家老の屋敷を住居としたらしい。江戸後期の飫肥藩は財政事情が苦しかったようだ。
松尾の丸御殿は昭和54年に再建されているが、こちらは節の多い柱ばかりで形ばかりの安普請である。 城主の関連資料がここと資料館に多数展示されている。
b0017474_12293518.jpg

b0017474_12302495.jpg

b0017474_1657434.jpg

b0017474_11535973.jpg

豫章館の北側に城の大手門があり、壮大な門構えである。
b0017474_12203421.jpg

大手門前からながめた武家屋敷の町並みは整然としている。
飫肥藩士は明治維新後の西南戦争では西郷軍を支援して、数百名の犠牲者をだしている。
その後日露戦争の講和条約で活躍した小村寿太郎の生家や記念館が武家屋敷跡のなかにある。
b0017474_16263086.jpg

[PR]
by gfujino1 | 2008-05-22 11:57 | 郷土史