軍艦「出雲」

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軍艦「出雲」物語

先週の西日本新聞に芥川賞作家林京子さんのエッセイが掲載された。
太平洋戦争開戦当時、上海で女学校に通っていた京子さんが、英会話で
人気のあった英国人の先生とこの日を限りに別れた記憶の話である。

昭和16年12月8日上海の守備についていた軍艦「出雲」を旗艦とする日本海軍は、
降伏勧告をうけいれなかった英艦ペテレルを撃沈し、敵対国になったためである。

私は「出雲」ときいて、昨年の国文祭のとき古賀市「漂着ものがたり」会場を思い出した。
1973年に海の中道の海岸に漂着していた軍艦「出雲」の杯を、古賀市歴史資料館の
石井館長が発見されて、展示されていたからである。

出雲は1898年に英国(アームストロング社)で建造された9970トンの装甲巡洋艦で、
日本海海戦でも活躍し、第1次大戦では地中海マルタ基地で旗艦となっている。
その後は若い幹部候補生をのせて世界周航をする練習艦船としてはたらいた。

漂着した杯には、大正10、11年世界周航記念、軍艦出雲と書かれていた。この
周航に乗り組み員として参加されたかたが、古賀市にもおられた。
杯のなかに世界地図が画かれおり、太平洋、アメリカ、パナマ、大西洋、イギリス、
地中海、スエズ、インド洋、東南アジア経由の周航記念で、隊員に配布された杯
であった。海に関係する遺品として遺族が玄海灘に投入されたのかも知れない。

第2次大戦では、京子さんのエッセイのように、中国長江に砲艦として常駐して、
1942年日本にもどり、江田島の海軍兵学校生の練習艦となったが、1945年
7月28日の米軍攻撃で江田島沖に沈没し、戦後引き上げられ解体された。

エッセイでは上海で英艦を砲撃したのは「出雲」と思っていたが、最近の調査で
国産の駆逐艦「蓮」ということがわかったと林さんは書いている。
英国製の「出雲」が英艦を撃沈したのでなかったのはせめてものすくいであると、
林さんにお知らせしたい。
林さんは上海から郷里長崎に帰国され原爆に被災されたことを知り、60年前の
同じ戦争体験世代のものとして、「出雲」の運命に哀愁を感じる。


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by gfujino1 | 2005-02-10 17:28 | 郷土史
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