二神神社跡の大槙

香椎宮の末社のひとつに二神神社(跡)がある。その場所には樹齢四千年の大木となった槙の木があるというので出かけた。香椎台5丁目の新しい団地の公園の中というので、その周辺で高い木を探したがみつからない。車道からみると谷間になっているので、低い木に見えてしまったからだ。一番大きな幹は折れたらしく、切断されている。断面を年輪年代法であいらべれば、正確な時代測定がわかるはずである。
背後の立花山の古い名前は二神山で、奈良の二上山と同じ呼び名である。山をご神体として崇めたのが物部系の舂米連である。糟屋評造であり、山をご先祖の地として祀っていた拝殿がここにあったらしい。
舂米の名前が聖徳太子の王女につけられたので、この糟屋の地が聖徳太子のゆかりの地であることがわる。王女の養育費を負担する名代を舂米連がつとめたからである。
聖徳太子の血縁は蘇我系ではあるが、物部宗家滅亡後も物部系との縁がかなり深くなっていったようだ。法隆寺をたてた斑鳩の地の坂戸氏も物部系という。
そのため蘇我馬子と溝ができて、晩年は政治の表から身を引いたのかもしれない。そんな思いを感じさせる場所である。
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by gfujino1 | 2005-04-15 17:08 | 郷土史
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