蓑生浦

福間町と津屋崎町が合併して福津市になった。二つの町の境界になっていたのが手光今川という小さな川である。その河口の両側に広がる砂浜を蓑生浦(みのうがうら)という。
平安時代からの古い呼び名で、菅原道真が大宰府に流されたとき、この沖合いで嵐にあい、あわてて津屋崎港に引き返して一夜を過ごしたのは有名な話である。
平安中期の女流歌人馬内待(うまのないし)が詠んだ「うかりける 蓑生の浦のうつせ貝 空しき名のみ 立つは聞ききや」の歌碑が海岸道路沿いにある。(厚生年金スポーツセンター前)
蓑生浜には、うつせ貝にまつわるフミという名の娘の悲しい物語があり、これを詠んだ和歌で、「後拾遺和歌集」に収められている。
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今川を渡る橋の横には「南無阿弥陀仏」と刻まれた大きな今川石碑がある。元寇の役での死者を葬ったのと、この地に出る妖怪「今川の土坊主」の霊を治めるための石碑という。この川の少し上流には今川遺蹟が発見されており、環濠集落の住居は朝鮮式で、中国北部の遼寧式銅剣を加工して作られた鏃や銅鑿が出土したそうである。
この海岸道路を通って津屋崎や恋の浦にはよくでかけるが、二つの石碑を詳しく眺めたのは初めてであった。
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by gfujino1 | 2005-07-16 21:09 | 郷土史
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