いま宗像大社の沖の島が世界遺産に登録されるように運動中である。このため大社や周辺の末社までいろんな調査がおこなわれており、早稲田大学の吉村作治教授たちもこられたという。
宗像大社はよくお参りするが、沖の島はまだお参りしていない。いやもうお参り出来ないのだ。 男性で70歳以下の年齢制限があるからだ。また女性は沖の島には渡れない。 手前の筑前大島の北岸に、沖の島遥拝所があるのは、これらの人たちが、せめてここから沖ノ島を遥拝するための場所であるという。はるか海のかなたの沖の島をおがんだが、当日は霞がかかって肉眼では確認できなかった。 また大島の南岸には、宗像大社中津宮が港のすぐ近くに祭られている。もともとはこの中津宮のために港ができたのであろう。九州本土の宗像大社には辺津宮がある。宗像大社は、あくまで沖の島が宗像三女神の中心であり、大島や九州本土の宮はその別れと考えるべきである。 毎年秋季の放生会が行われる。この時には三女神が辺津宮にあつまるという祭礼がおこなわれる。これは玄界灘の秋を彩る宗像大社の海上神幸「みあれ祭」とよばれ、地元漁協の漁船約400隻が大漁旗をはためかせ、大島から対岸の神湊まで15キロを海上パレードする。 約700年前から伝わる同大社秋季放生会の幕開け行事で、五穀豊穣(ほうじょう)や豊漁に感謝する。「みあれ」とは新しい霊力をいただくという意味。同大社の三女神のうち、沖ノ島の沖津宮(おきつぐう)と、大島の中津宮(なかつぐう)にまつる女神の御座船(おざふね)が漁船団に守られながら海を渡り、神湊まで出迎えた辺津宮(へつぐう)の女神と年に1度の再会を果たす。 また宗像大社では、3日間の放生会の間に沢山の出店が並び、大勢の参拝客がおとずれる。 大社境内では、古来の舞や流鏑馬(やぶさめ)などが催される。今年は曇りの天気であったが大勢の人出でにぎわっていた。 秋季大祭の最後の夜には神事「高宮神奈備祭(たかみやかんなびさい)」が、暗闇にかがり火がゆらめく幻想的な境内で行われる。太宰府天満宮から招かれたみこが悠久の舞を奉納した。 同大社で平安時代後期から行われていたとされる「八女(やおとめ)神事」が由来で、1375年に書かれた古文書「応安神事次第」に最後の記録が残る。合併で同大社の3宮がすべて同じ宗像市の所在となったのを機に、630年ぶりに復活させることにしたという。 神湊を中心に、津屋崎から鐘崎までの海岸線は筑前名所絵図にも描かれているくらいの優美な風景である。
by gfujino1
| 2005-09-25 07:09
| 郷土史
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