福岡と唐津(奴国と未盧国)

玄海灘に面した北部九州には、かめ棺が出土する。
昨日聞いた唐津周辺の発掘調査の報告では、福岡と唐津と で大きな差があるそうだ。
福岡地区では通常二つのかめを水平に向い合わせにおいて そのなかに遺体をいれて、
接合部を粘土で封じる。
唐津地区では、一個のかめを逆立ちにおいて、 折り曲げた遺体にかぶせている。
人骨から唐津のほうが、背たけが低いことも判明したそうだ。
弥生前期には、唐津の末盧国と伊都国の間に大きな 人類文化の差があったことがわかる。
弥生後期になると末盧国は停滞し伊都国、奴国は繁栄して、伊都国には 魏の使者が駐留するところとなった。その理由は?
魏志倭人伝のなぞがまた一つ増えた。
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by gfujino1 | 2006-06-23 07:34 | 郷土史
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