甕棺族の分布

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弥生時代の初期から中期にかけて、北部九州には死者を大型甕棺にいれて埋葬する風習の民族がいた。福岡市金隈遺跡では367基もの甕棺が展示されており、壮観である。
玄海灘に面した地域では、唐津から古賀までと聞いていた。そして弥生時代後期には、甕棺埋葬の風習はなくなって、卑弥呼の墓のように古墳にかわる。
最近読んだ橋口達也さんの本で、その分布図をみつけたが、古賀は飛び地状態で、多々良川が東側の境界になっている。
嘉穂や武雄には大きな飛び地帯があり、古賀や島原、玉名などは小さな飛び地帯である。
古賀より東北の地帯は古墳時代の埋葬形式だから、弥生時代前期には無人に近い状態だったのだろうか?
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そしてこの甕棺墓のルーツは何処か?と調べていたら、韓半島南域の馬韓時代(2~3世紀)ということが解かった。栄山江流域の石室封土墳に多く残り、百済の支配下になっても、独自の勢力圏をもっていたらしい。
百済の圧力からのがれて日本に渡来してきた部族が筑紫平野に住みついたのであろう。
詳細な紹介文献:http://www.rekihaku.ac.jp/kenkyuu/kenkyuusya/fujio/kyushu/kamekan.html#2
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by gfujino1 | 2007-09-10 20:25 | 郷土史
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